きものくらちの小牧店ブログ
6月11日は愛と革命のインドカリーの日

1927年(昭和2年)のこの日、東京・新宿に中村屋のレストランを開設し、日本で初めて「純印度式カリー」を売り出した株式会社中村屋が制定。
記念日の名前は、創業者の相馬愛蔵(あいぞう)・黒光(こっこう)夫妻の娘・俊子がインド独立運動の活動家ラス・ビハリ・ボースと恋に落ち、1918年(大正7年)に結婚したことをきっかけに、インドカリーが誕生したことに由来します。
ラス・ビハリ・ボース(Rash Behari Bose、1886~1945年)は、当時、イギリスの植民地として圧政に苦しんでいた祖国インドを救おうと独立運動を行っていました。しかし、インド総督への襲撃をきっかけに、イギリス政府から厳しい追及を受け、1915年(大正4年)に日本に亡命。
日本では、アジア開放運動の志士を守ろうという動きが民間で高まっていたが、日英同盟を結んでいた日本政府は、ボースに国外退去を命じるのです。
ボースを気の毒に思った相馬夫妻は、アジア主義者の巨頭・頭山満の依頼もあり、政府の意に反してボースを中村屋の敷地内にあったアトリエで匿(かくま)うことにしました。
翌1916年(大正5年)にボースは中村屋を出て隠れ家を転々とし、その逃亡生活で連絡役を務め、陰で支えたのが相馬夫妻の長女・俊子。
2人は後に結婚し、2人の子どもを授かるが、逃亡生活の心労がたたり、俊子は1925年(大正14年)に26歳の若さで亡くなってしまいました。
当時、日本に広まっていたカレーはイギリスから伝わった小麦粉を使用したもので、祖国インドのカリーとは別のもの。俊子の死後も中村屋と交流を深めたボースは本場のカリーを日本に紹介したいとの思いから、中村屋で純印度式カリーをこの日に発売。
このカリーは中村屋の名物料理となり、「恋と革命の味」として現在に伝わっているのです。
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